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松山地方裁判所西条支部 昭和43年(手ワ)14号 判決

原告 石井光義

原告 石井厳

右原告ら訴訟代理人弁護士 宮崎忠義

被告 伊藤直秋

右被告訴訟代理人弁護士 白石基

主文

被告は原告石井厳に対し、金三〇〇万円及びこれに対する昭和四三年四月一二日から支払済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

原告石井光義の請求を棄却する。

訴訟費用は、被告と原告石井光義との間では全部同原告の負担とし、被告と原告石井厳との間では全部被告の負担とする。

この判決は右一項に限り仮りに執行することができる。

事実

(甲)申立

(原告ら)

被告は原告石井光義に対し金四五〇万円、原告石井厳に対し金三〇〇万円、並びにそれぞれこれに対する昭和四三年四月一二日から支払済に至るまで年六分の割合による金員を各支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決、並びに仮執行の宣言。

(被告)

請求棄却の判決。

≪以下事実省略≫

理由

第一、一、甲第一ないし第三号の各一を検討すれば、右各書面は約束手形なることを示す文字、支払地新居浜市、支払場所株式会社伊予銀行角野支店、支払指図文言、並びに金額欄、支払期日欄、振出日欄、振出地欄、振出人欄、名宛人欄等手形法第七五条所定の手形要件をいずれも不動文字で印刷した一見して手形用紙であることが明白な書面であることが認められ、且つ右各号証の一のうち振出人欄の被告の署名部分の記載については被告の自認するところであるから、被告は右各書面が当然手形用紙であることを認識して署名したと看るべく(署名については記名押印と異り押印は不要である――手形法第七五条第七号、第八二条参照――)、又その余の手形要件の記載は別紙手形目録記載のとおり訴外高井正の記載する事を被告は容認していたことが≪証拠省略≫によって認められるところであるから、これらの事実を綜合すると、結局甲第一ないし第三号証の各一の成立、即ち被告が本件(一)ないし(三)手形を振出したことが認められるところである。

被告は被告の精神能力が極めて劣るから手形の何たるかを知らずに署名したと反論するが、右甲第一ないし第三号証の各一は右認定のとおり全くの白紙と異り、通常人殊に素人にとっても一見して手形用紙であると判明出来る手形用紙であるから、右反論は理由がなく、又被告が右手形用紙であることすら認識しえない程度の強度の精神薄弱者であることを窺うに足りる証拠はない。これに関する≪証拠省略≫はにわかに措信し難い(被告の近親者に精神異常者があるという一事丈で被告も同様であるということはできないし、又、≪証拠省略≫からも被告は後記公正証書の不当性を追及していることが窺える)。

二、そして、≪証拠省略≫によれば、被告は本件(一)ないし(三)手形を昭和四三年一月一六日訴外高井正宛交付し、同訴外人は即日右各手形を拒絶証書作成義務免除の上原告石井光義に裏書交付し、同原告は同年同月一八日本件(一)手形を拒絶証書作成義務免除の上原告石井厳に裏書交付し、なお、本件(一)ないし(三)手形は夫々各支払期日に支払場所に呈示されたが、いずれも支払を拒絶された結果、現在原告石井光義は本件(二)(三)手形の、原告石井厳は本件(一)手形の所持人であることが認められ、これに反する証拠はない。

第二、一、ところで、被告は本件(一)ないし(三)手形は原因関係が欠如しているとし、これをいわゆる人的抗弁として主張する。

そして、その原因関係の欠如の事由として、被告は訴外高井正の原告石井光義に対する新規金五〇〇万円の借入が実現しなかったことを主張し、原告らは原因関係存在の事由として原告石井光義と同訴外人との間に別紙貸金目録(一)(二)記載の貸金債権が存在するとし、なお被告がこれを債務引受したと反論する。又、本件についてはその他振出人である被告と同訴外人との間の原因関係の存否についても考えて見なければならない。

そもそも手形振出人としてはその手形授受の直接の当事者である名宛人との間にその原因関係となるべき債権関係が存在せず、その被裏書人が右の事情を知っているときは、いわゆる人的抗弁として右原因関係の欠如を主張しうるのであるが、若しその名宛人と被裏書人との間にも裏書交付の原因関係が存在しないときには被裏書人としては右振出人と名宛人との間の原因関係の欠如を知ると否とに拘らず手形を所持する正当な権限を有せず、該手形を自己の前者である名宛人、従って又これを受けた名宛人は振出人に夫々該手形を返還しなければならない筋合である。けだし、そもそも人的抗弁の切断を認めた法の趣旨は手形取引の安全のために手形取得者の利益を保護するにあると解すべきときは、右のような被裏書人は右振出人とは直接の手形当事者ではないけれども、手形の支払を求める何らの経済的利益も有しないものと考えられるからである。

そして、手形債権が抽象無因の債権であって、原因関係から独立して発生し移転するものであれば、手形債権者としてはその原因関係の主張を必要としないで手形上の権利の請求をなし得、却って右原因関係不存在の事由が人的抗弁としてのみ手形債務者において主張立証すべきものである。従って、手形債務の原因関係である或る甲事実の発生しないことはそもそも手形債務者の主張立証すべき事柄に属し、若し手形債権者が右甲事実の発生したことを主張するときは、これは右抗弁事実の積極否認というべきこととなる。

しかしながら、右甲事実の発生しないことは確実であるが、若し手形債権者において右甲事実と異る乙事実の発生を以て手形債務の原因関係が存在すると主張するときはこれをいわゆる間接反証と解すべき余地もないではない(本件についていえば、被告は訴外高井正の原告石井光義に対する新規金五〇〇万円の借入が実現しなかったことがその原因関係の不存在として主張し、これが右甲事実に該当するが、原告らは右に反駁を試みるに原告石井光義の同訴外人に対する別紙貸金目録(一)(二)の貸金債権を主張し、これが右乙事実に該当するのである。尤も、右は被告と訴外高井正との間の原因関係ではなく、同訴外人と原告石井光義との間の原因関係であるが、前記のようにともに原因関係が欠如するときは被告はこれを以て原告石井光義に対抗することができると解するときは、後者の原因関係の欠如も前者の原因関係の欠如と同列に考えられるものである)。けだし、乙事実の発生なるものは、その立証目的はつまりは原因関係の不存在という手形債務者の主要事実を覆す手段的意味をもち、その意味で反証ではあるが、同じく主要事実を基礎付ける甲事実の不発生とは二律背反的な直接反証ではなく、別個の事実の推論を以て間接的に主要事実を覆す作用があり、右主要事実を離れて乙事実の発生のみに限定すれば、それは通常は権利根拠規定に該当した積極的事実であって、このような間接反証についてはこれを主張する者が挙証責任を負う、つまり本証であるといえそうであるからである。

しかしながら、当裁判所はかかる立場を採らない。手形債務者の主張すべき主要事実は原因関係の不存在であって、通常は特定の原因を指定し、その原因の不発生ないし消滅をいうであろうが、このような特定の事実の不存在は右主要事実を理由あらしめる基礎となるべき一の事実であり、手形債権の無因性から手形債務者としては右主要事実の立証を尽すためには、当該当事者間における手形を授受すべき原因の不存在ないし消滅の一切を立証しなければならないというべく、又右特定の原因不存在の主張の中にはその特定の原因以外にも原因がないことの主張を含むと解すべきである。従って、手形債権者において手形債務者の特定する原因(前記甲事実)以外の原因(前記乙事実)が存在すると主張するのは、手形債務者の抗弁に対する再抗弁ないし間接反証ではなく、その抗弁に対する積極否認ということになる。けだし、若し前記乙事実を間接反証と解するときには、手形債務者において原因関係の欠如を主張する際に、甲事実の不存在を主張する代り、乙事実の不存在(これを非乙事実といおう)も又主張するときは非乙事実につき手形債務者が挙証責任を負うべきこととなる反面、乙事実については手形債権者は挙証責任を負わないこととなり、若し手形債務者において甲事実の不存在のみを主張するときは、乙事実については手形債権者が挙証責任を負うべきこととなり、全く同一事実が具体的な主張の仕方によって、挙証責任を負担する者が裏表いずれかに変り一定しないからである。ひいては、間接反証と解するにおいては全て手形債務発生の原因関係の挙証責任は手形債権者が負担する結論となり、手形上の権利を主張するにはその原因関係の主張を要しないというそもそもの出発点である手形の無因性にも反する結果となるからである。

よって、本件の場合、被告と訴外高井正との間の原因関係の不存在、同訴外人の原告石井光義に対する新規借入れの実現がなかったこと、別紙貸金目録(一)(二)記載の貸金債権の不存在については、全て手形債務者である被告において挙証すべきこととなる。

二、(一)≪証拠省略≫によれば、原告石井光義は昭和四二年二月三日ごろから訴外高井正に対し金融の便を与えていたのであるが、他にも同訴外人に対し同様の貸金債権を有する訴外藤田ヨリヱがあり、同訴外人から右貸金債権の取立を委任され債権譲渡を受けたとして自己の貸金債権と併せて昭和四二年一二月現在元利合計総額約一、〇〇〇万円にのぼると主張して、訴外高井正に対しその支払方を請求していたところ、同訴外人としてはこれが返済に苦慮していたところから、偽造に係る被告名義の印鑑証明書、委任状を使用して、同訴外人が被告に対し金七五〇万円の貸金債権を有する旨の架空の公正証書を被告に無断で作成し、これを右原告石井光義に対する借入金支払の担保の為同原告に債権譲渡と称して差し入れておいたのであるが、これを知った被告から詰問された訴外高井正は、「今右の公正証書は原告石井光義方にある。従って、これを破棄する為には同原告方へ赴き右書面の替りに被告名義の手形を振出すことが必要である」旨申し向けて信じさせ、被告を同原告方へ同道し、同所において同訴外人から同原告に対し、「さきに差入れた公正証書は都合が悪い、これに替って被告が手形を振出す」と申し入れ、これに応諾した同原告から手形用紙三枚位を貰い受け、同訴外人、同原告、被告三者立合の許に、被告をして前掲第一項一記載のとおり内三枚の各振出人欄に自署せしめ、後は同訴外人においてこれに右公正証書記載の借入金七五〇万円に相当する額面金三〇〇万円(本件(一)手形)、額面金三〇〇万円(本件(二)手形)、額面金一五〇万円(本件(三)手形)の三通の約束手形を別紙手形目録記載のとおりの手形要件を夫々記入して完成し、以て被告より同訴外人が交付を受け、これを同原告に裏書交付したものであることが認められ、以上が被告が本件(一)ないし(三)手形を振出すに至ったそもそもの経緯なのである。

(二)(1) そこで、右認定事実を前提とするとき、被告名義の公正証書は訴外高井正が勝手に偽造した架空のものであって、訴外高井正の被告に対する金七五〇万円の貸金債権は存在しないことが明らかである。

(2) 又、同訴外人が原告石井光義に対し新規金五〇〇万円を借入れた事実のないことも右二(一)の認定事実から明らかである。尤も、証人高井正(第一回)の証言によれば、訴外高井正は昭和四三年一月ごろ新たに土地購入資金として金六〇〇万円を必要とした為これを借受けるに際し、偽造の前記被告名義の公正証書を作成したり、被告に本件(一)ないし(三)手形を振出させたりしたかの供述も見られるが、これは訴外高井正の原告石井光義に対する右公正証書の差入れが、同原告の主張する貸金債権の支払の担保であって、当時既に同訴外人は同原告に対し少くとも金一二〇万円の借入金を有していた旨の同証人の証言(第二回)に照らしてみても、同原告が同訴外人に対し新規に金融の便を与え、信用を供与することは到底考えられず、未だ右の認定事実を覆すに足りない。

(3) つぎに、≪証拠省略≫によると、被告が訴外高井正の原告石井光義に対する別紙貸金目録(一)(二)記載の貸金債務の引受をしなかったことが認められる。≪証拠省略≫によれば、訴外藤田ヨリヱの訴外高井正に対する別紙貸金目録(一)記載の貸金債権のいくつかがあり、原告石井光義がその債権譲渡を受け、この旨訴外高井正に通知して自己の貸金債権たる同目録(二)の貸金債権のいくつかと併せて同訴外人に支払を請求したことが窺われ、又、これが支払の為同訴外人がまず前記架空の公正証書を作成し、これを同原告に差入れ、ついでその替りに被告が本件(一)ないし(三)手形を振出し、同訴外人を経由して同原告に右各手形が裏書交付されたことは前記二(一)記載のとおりであるが、同原告と被告、訴外高井正との間の交渉は右の経過に止まるのであって、これが直ちに被告の右貸金債務を引受けたことの証憑となるものとはいい難い。

三、以上のとおりであるとすると、本件(一)ないし(三)手形の振出人である被告と訴外高井正との間には右振出の原因関係はないが、同訴外人と右各手形の被裏書人である原告石井光義との間には別紙貸金目録(一)(二)記載の貸金債権、即ち原因関係がないとはいえないということになる。

そして、一見同原告は被告とは右各手形授受の直接の当事者ではない。しかも、右各手形振出の際の状況は前記二(一)記載のとおりであって、被告ないし訴外高井正からは前記公正証書が架空のものであり、真実被告は同訴外人に対し債務を負担していない等、原因関係が存在しないことを同原告に説明した形跡はこれを認める証拠がない。即ち、同原告の悪意を認めるに足りる証拠はない。しかしながら、右各手形の作成授受は同原告方において直接同原告と被告及び同訴外人立会の許で行われたのであって、被告より同原告宛に行われたものと実質的に考えられ(右公正証書は当時債権譲渡の形式が踏まれていたことから、法律上被告より同原告に対して債務を負担する形式であったし、右各手形はこれに替るものであったことからも推論でき、又右当事者もそのように考えていたことが弁論の全趣旨によって推認されるのである。現に、同原告の主張も右各手形の裏書交付の原因関係を直接被告の同原告に対する債務引受と看ている。)、その中間者たる訴外高井正の裏書は(右各手形は一旦同訴外人が持ち帰ったことが≪証拠省略≫によって窺えるが、右作成の状況からすればこれを問う要はない)抗弁切断のため藁人形として形式的に挿入されたもの、従って又同原告もこのことを容認していたものと考えられるのである。

果してしからば、本件(二)(三)手形の所持人である同原告とその前者である訴外高井正とは実質上一体をなしているものであって、被告から直接同原告宛右各手形が振出されたと同視すべく、このような場合は前記公正証書が架空のものであって、同書面に記載された金七五〇万円の貸金債務は存在しなかったこと、同訴外人が新規金五〇〇万円を借り入れなかったこと、被告は別紙貸金目録(一)(二)の貸金債権につき債務引受をしなかったこと等、右各手形振出につき何らその原因関係が存在しないことを以て、同原告が右事実を知っていると否とに拘らずこれに対抗することができると解するのが相当であって、被告は同原告に対し右各手形の支払を拒むことができるといわなければならない。

四、なお、本件(一)手形につき原告石井光義から原告石井厳に裏書交付がなされたことは前記第一項二記載のとおりであるが、原告石井厳は右三の直接の当事者と看做すことはできず、同原告が右手形取得の際右原因関係の欠如を知っていたことを認めるに足りる証拠はなく、又同原告への裏書交付が仮装のものであることを認めるに足りる証拠もない。

すると、被告は同原告に対しては本件(一)手形金の支払を拒み得ないことになる。

第三、以上のとおりであるから、被告に対し原告石井厳が本件(一)手形金三〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の翌日であることが一件記録上明らかである昭和四三年四月一二日から支払済に至るまで商法所定年六分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるからこれを認容することとし、原告石井光義が本件(二)(三)手形金合計金四五〇万円及びこれに対する右同日から支払済に至るまで同法所定同率の遅延損害金の支払を求める部分は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法第九五条第八九条を、原告石井厳勝訴部分の仮執行宣言につき同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 宗哲朗)

〈以下省略〉

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